2018.06.28

【スペシャル対談】「炎のサイドバックと呼ばれた男にとっての“日本代表”」

都並敏史TD×鈴井智彦ヘッドコーチ対談
「炎のサイドバックと呼ばれた男にとっての“日本代表”」
日時:5月30日
場所:総合公園

都並敏史(テクニカルディレクター)
鈴井智彦(トップチームヘッドコーチ)
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マラドーナとの衝撃 初めて目の当たりにした “本気”


鈴井: 都並さんこのサイト知っていますか? 日本サッカー殿堂入りを果たしてしている今井恭司さん(※1)の「今井恭司のサッカー千蹴写真館」。

都並: 伝説のカメラマンだよね。

鈴井: 西野朗さん(日本代表監督)やジョージ与那城さん(J.FC MIYAZAKI監督)などの現役時代の写真とエピソードがあるのですが、この中に若かりし頃の都並さんがいます。なかでも個人的に感動したのが、この1枚。1982年の1月16日。国立競技場での日本代表対ボカ・ジュニアーズ(※2)戦。

都並: ボカとは82年のゼロックススーパーカップで3試合対戦しました。この時のボカには、既にスーパースターの仲間入りをしつつあったディエゴ・マラドーナがいました。3試合とも未勝利だったのですが、1戦目は1対1で引分。マラドーナに本気を出させたかったので、スペイン語のちょっと汚い言葉を覚えて伝えたら――胸ぐらを掴まれました(笑)。続いて、神戸での2戦目はボカが気を緩めていたこともあって、日本が前半に2点を叩き込んだ。すると、ボカはハーフタイムにばんばんダッシュを入れて、手に付けていた手袋も外して。はい。ちょっと本気モードに入ったボカはあっさり逆転。人生において、海外サッカーの本気を始めて目の当たりにしたのがこの2戦目でした。そんなこんなで、昼はマラドーナと試合をして、夜は田口さん(※3)に食事に連れてってもらい、僕の中では忘れられない伝説の成人式でしたね。

弱冠19歳で日本代表に選出 日の丸への情熱が人生の転機に


鈴井: 1980年12月22日。W杯スペイン大会のアジア予選対シンガポール戦で、都並さんはA代表にデビューを果たしました。この時まだ19歳だったんですね。

都並: 香港での試合でした。右サイドバックで出場していた越田さん(※4)が負傷したことで出番が回ってきました。次の試合からはスタメンに食い込んでいくのですが、代表3試合目のマカオ戦は、いまでも強烈に記憶に焼き付いています。

鈴井: 何かあったのですか?

都並: 前半17分に乱闘でレッドカード(笑)

鈴井: アツいですねぇ。

都並: がっつり深くスライディングしたら、相手選手が胸ぐらを掴んできたんです。そこからは、もうもみくちゃ。両者ともに退場。ピッチを後にする際、マカオを応援していた香港の応援席から瓶やら鳥の骨やらいろんなものを投げけられて。当時、リザーブに入っていた岡田武史さん(元日本代表監督/FC今治代表取締役)に守られながらスタジアム脇の宿舎まで連れて行ってもらったのを覚えています。

鈴井: そんな都並選手は、日本代表の熱狂的なサポーターだったとか。今井さんのコラムによると、1979年に日本で行われたワールドユース(現在のU-20W杯)では、ハチマキをつけて応援していたと。国立競技場の最前列で一番大きな声を出していたのが都並さんだった?

都並: サポーターの走りです(笑)。日本代表の試合があるときは、必ず日の丸をつけて太鼓を叩いていましたからね。川淵さんは僕のプレーを見たことがなかったそうなのですが、代表の候補に名前が挙がったとき、そんなに日本代表が好きなら一度都並を代表に呼んでみようよ、と。

鈴井: 太鼓叩きから日本代表への道が開けていく。

都並: 日本代表キャップは通算だと、国際Aマッチは78。Bマッチを含めると157試合に出場しました。当時は、バイエルンやボカなどクラブチームと試合をしていますが、国際Aマッチには換算されない。国際Aマッチは国と国の代表のみですから。これだけ出させてもらったのは本当に光栄です。

1993.10.28ドーハの悲劇 全てをかけて闘った1ヶ月間

鈴井: W杯アメリカ大会・アジア地区最終予選。当時、都並さんはJリーグで負ったケガのためにメンバー入りしないものだと考えられていました。ですが、オフト監督は都並さんをメンバーに選出。スペインのカディスで行われた代表合宿にて、練習場とホテルの間を他の選手はバスで移動するなか、都並さんだけは自転車に乗って必死でバスに付いていく映像がテレビで流れた。25年前、僕はそれを見ていて、都並さんは試合出れるんじゃないか、と思っていましたよ。

都並: あの時はプレーすることはできなかったから、運動量を維持するために自転車に乗っていました。常に痛みがあり、それまでに何度も骨折していたので、それが骨の痛みであることはわかっていました。ただ、カディスの病院でレントゲンを撮ると何も映らないんですよ。なんにも。しかし、帰国後に改めて病院でレントゲン撮影をするとマジックで書いたような黒い線が入っていました。チームや仲間に迷惑をかけたくなかったので、悔しいですがケガをしている選手がメンバー入りするべきではないとコーチ陣に伝えていたのですが、オフトさんは絶対に連れて行きたいと言ってきた。あとで聞いたところだと、痛みを我慢してJリーグの試合を60~70%の状態でこなしていた僕を見て、もしかしたら15分でも使えるかもしれないと思ったそうなんです。対戦相手との情報戦の意味合いもあったようです。

鈴井: なるほど。

都並: でも、僕自身は骨折しているし、試合に出場できる状態ではなかった。最終予選前の国内合宿。ホテル入りしたときにオフトさんに呼び出されて、こう言われたんです。
「You’re NORMAL(オマエは正常だ)」 。
日本代表の選手たちにはこの事実は伝えられていなかった。ホテルには各国のTV局のカメラや記者も来ていましたし、僕とコーチ陣、主将の柱谷(※5)以外には誰一人として感づかれてはいけない。そういうメッセージでした。このひと言は鮮明に覚えています。

鈴井: ユー・アー・ノーマルですか・・・。

都並: ドーハに着いてからは毎日、隠れて痛み止めの注射を7本打ってから練習に参加。初戦にスタメンで出るという前提を作らなければいけなかったので、妥協はできない。練習が終わってからホテルに戻って激痛と格闘していましたね。その様子を見ていた同部屋の三浦泰年(現鹿児島ユナイテッド監督)には告げましたが、口止めはしました。食事に行く際、ヤスに肩を貸してもらわないと歩けないほどの痛み。しかし、当時のアジア予選はセントラル方式だったので、同じホテルに韓国代表とかがいる。彼らが目に入るとヤスからパッと離れる。平然を装ってなんとか歩いてみせました。

鈴井: 鉄人だ。

都並: それだけ、日本代表に賭けていたし、W杯に出たかった。親父が志願して戦争に行くような人だったから、そういうメンタリティが小さい頃から擦り込まれていたんだと思います。いまだったらそんなことは絶対にできない。骨、折れちゃってるんですから。

鈴井: 根底にあるのは、日の丸への思い。

都並: もちろんです。でも、他の選手と同じトレーニングをした後、体力は上げないといけないから200m走を何十本も繰り返して走り込んでいきました。オフトは「そんなにやんなくていいぞ」と言っていましたが、なぜか「そんなの関係ねェ!!」って感じでして。骨折はしているんですが、気合は入っていましたね。

鈴井: 「都並さんはスピードとテクニックはもちろん、とにかく気迫が凄かった」と今井さんは述懐しています。

都並: 僕は高校生の途中まではウイングをやっていたんですよ。中3と高1のときはみんな周りが上手で試合に出られませんでした。試合出たいなと思ってたある時、サイドバックのポジションに空きが出て、真っ先に俺がやると手を挙げました。初めてのポジションだったのですが案外ハマったんです。ウイングでやるときより相手のマークがないし、スルスル上がって行くことができた。走力には自信があったから飛び出しても帰陣は速かった。もっと言えば子供の頃にやっていた少年野球の経験が生きた。盗塁するのが大好きな少年は、柴田勲(※6)の盗塁の時のスライディング技術を分析。

鈴井: あのカニばさみタックルが生まれた!

ロシア・ワールドカップ

都並: ロシアW杯では、日本代表対セネガル戦とアルゼンチン対クロアチア戦を現地から解説していきます。

鈴井: 今大会は波乱で起きそうですね。メッシ率いるアルゼンチンはどうですか?

都並: 南米予選ではかなり苦労してきた。サンパオリ監督が自分のサッカーを押し付けようとしていたんだけど、予選の最終盤に来て、大黒柱であるメッシのチームに変貌を遂げました。でも、こういう時のアルゼンチンって強いんですよ。1986年は完全にマラドーナのチームでした。あの時の雰囲気に似ているように思います。メッシ次第。これに尽きます。対して、ブラジルは安定している。監督のチッチがいい。コリンチャンスでクラブW杯を制した時に練習を見てインタビューもしましたが、本当に手堅いサッカーをします。ディフェンスがしっかりしている監督。ブラジルは攻撃的な選手が多いけど、勝っているときのブラジルは絶対的にボランチがしっかりしているんです。今大会ではカゼミーロ(レアル・マドリード)やパウリーニョ(FCバルセロナ)、フェルナンジーニョ(マンチェスター・シティ)らタレントが揃う。堅いサッカーが本大会でもできると思います。

鈴井: クロアチアもタレントが揃っていますね。

都並: モドリッチにラキティッチ、マンジュキッチ、ペリシッチ、コバチッチ、、、個性がすごいですね。マンジュキッチは所属のユベントスでサイドアタッカーとして地位を確立しました。同じグループのアルゼンチン相手にも引けを取らない勝負になるはずです。

鈴井: バイエルンでは、まったく予想できなかったコンバートでしたね。あんなに献身的に働く選手だとは思わなかった。では、ダークホースは? ベルギーというのはどうでしょう?

都並: ベルギーは中盤から前にタレントが揃っていますが、守備陣に駒が足りないように思います。攻守のバランス的には7:3くらいに映る。上位には残らないと思います。ベルギーの隣国のフランスはいい選手だらけですね。前線はグリーズマン、エムバペといった若きアタッカーがいて、後ろにはウムティティ(FCバルセロナ)、ヴァラン(R・マドリー)といったタレントが揃っている。楽しみですね。もう、フランスの最大の課題は結束できるかどうかにかかっていると思います。

鈴井: フランスはよく内部崩壊してますよね。そこはもう、デシャン監督(98年大会優勝時の主将)の手腕にかかっています。

都並: デシャン監督は2012年の欧州選手権後から率いています。かなり長いですし、結果が出やすい時期ではないかと。ドイツは間違いなく優勝候補だし、スペインは不気味。イスコの調子次第というところでしょうか。

鈴井: C・ロナウドのような点取り屋がいない。ジエゴコスタ、ダビド・シルバ、イスコでは少しインパクトが弱い。アルゼンチンにはメッシ、アグエロとかイグアインがいる。ブラジルにはネイマール、ジェズス、コウチーニョがいる。優勝するには、やはりゴールゲッターがポイントになるかと。

都並: 今大会では、ハイレベルなゴール前の攻防を楽しみたいと思います。もちろん、日本代表戦には熱いハートで向かいます。その気持ちはいまも変わりません。帰国後には、すぐさま妙典テクニカルスクールに向かい、ロシア・ワールドカップの熱を持って取り組んでいきたいと思います。

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(※1)今井恭司
70年代の日本サッカーが低迷期にあった時代からカメラマンとして活躍。昨年、サッカーカメラマンとしての功績を称えられ、日本サッカー殿堂入りを果たした。https://www.so-net.ne.jp/golden/tdatt_weekly/soccer/article/2018/201804/20180411.html

(※2)田口光久
アルゼンチンを代表するクラブ。国内リーグ優勝33回、南米制覇6回、トヨタカップ優勝3回(前身の大会を含む)など。過去には元日本代表の高原直泰が在籍している。

(※3)レアル・マドリードとスペイン代表の両方で主将を務める。世界最高のディフェンダーの一人。
日本リーグ時代の三菱重工サッカー部(現・浦和レッズ)で活躍したG K。70〜80年代にかけての日本代表の正守護神。主将も務めた。

(※4)越田剛史
筑波大学時代に79年のFIFAワールドユース選手権に出場。日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)と日本代表で活躍したサイドバック。

(※5)柱谷哲二
日本代表で主将を務めた“闘将”。都並敏史らとともに、黎明期のJリーグを支えたヴェルディ川崎のスター選手のひとり。

(※5)柴田勲
V9時代の絶頂期にあったプロ野球・読売ジャイアンツの不動のリードオフマン。通算盗塁数歴代3位。

【妙典校 テクニカルクラス】都並スペシャルクリニック

水/18:20~19:30/都並コーチ・鈴井コーチ

都並敏史
1961年8月14日生まれ
読売クラブやJリーグ発足後のヴェルディ川崎の黄金期を支えた名手。日本代表としては国際Bマッチを含めると通算135試合に出場した。2014年よりブリオベッカ浦安のテクニカルディレクターに就任。トップチームの選手のみならず、育成年代の指導にも力を入れる。

鈴井智彦
1972年1月6日生まれ
東海大学を卒業後、雑誌編集者を経てフリーのカメラマンとして活躍。1995年から2008年までスペインのバルセロナに在住し、帰国後に指導者へと転身する。今シーズンよりブリオベッカ浦安トップチームのヘッドコーチに就任。

お申込み方法

妙典校公式HP
https://peraichi.com/landing_pages/view/briobecca-myoden

お問い合わせ
アカデミー担当:松本
090-3962-1989(直通)

  • 株式会社マナビス
  • 建設の企画・設計・施工〜浦安・市川を中心とした関東地域の総合建設企業 株式会社ウラタ
  • 株式会社昭栄美術
  • サムシングホールディングス
         

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